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CGTN:家族3代で列車の仕事を継承

  • 2020-10-07 14:29
  • ACROFAN=PRNasia
  • hkcs@prnasia.com

【北京2020年10月7日PR Newswire=共同通信JBN】CGTN(中国グローバルテレビジョンネットワーク)はこのほど、3代にわたって列車保守という同じ仕事を選んだ「鉄道員家族」について伝えた。彼らは鉄道技術の進歩を目撃し、その報道は青蔵鉄道にかける彼らの夢を紹介する。


 

報道内容は以下を参照。
https://news.cgtn.com/news/2020-10-05/Working-on-the-train-Family-inheritance-in-three-generations-UlhA4S7qQo/index.html?from=groupmessage&isappinstalled=0 )


青蔵鉄道の列車が最初の笛を鳴らす西寧列車車庫で列車の検査員を務めるLi Haifengさんは「私は父と祖父の夢を引き継いでいる」と述べた。


31歳のLiさんは鉄道のすべての旅の安全を確保するために、各客車設備の検知されない不具合を調査・修理している。Liさんはこの職業に就いて7年になるが、それでも彼の父や祖父が働いた期間に比べればわずかなものにすぎない。


リンゴは木の遠くには落ちない


物語はLi Haifengさんの祖父で中国東部の山東省で生まれたLi Wangfuさんが丹東鉄道局から異動で西寧に赴任した1958年に始まる。「私がここに着いたのは1958年8月15日だ」。そうCGTNに語る80歳台のLi Wangfuさんは日付をはっきりと記憶していた。ひどく揺れた長旅の後、彼の目の前に現れたのは焼けつくような直射日光を浴びていた不毛の土地だった。


西寧列車車庫が1959年10月に設立されたとき、Li Wangfuさんは人がまばらな高原で、数少ない列車検査員の1人になった。彼は日中、たくさんの粗末な工具を使って不具合を探して修復した。夜には駅車庫のちょうど南にあるゴミの丘に彼と同僚たちが穴を掘って作った地下室に住んだ。


Li Wangfuさんは「当時、われわれを必要とする人がいれば、われわれはどこにでも行った」と語った。彼は毎日、黒いエンジンオイルが染みついたコートを着て出かけた。そして重労働が報われるときがきた。彼は1984年、青海チベット高原で初の列車検査長の1人になった。それはちょうど青海省最大の都市である西寧と同省第2の都市ゴルムドを結んだ鉄道が運行を開始した年だった。


父と子は似た者同士である。Li Xiujinさんが列車保守の仕事に進んだのは、彼の父Li Wangfuさんの影響が大きい。Li Xiujinさんは「私の父は一度、彼の列車に私を乗せてくれた。本当に素晴らしい仕事だと感じた」と回想した。1983年、彼はゴルムド車庫への赴任を命じられた。「当時、西寧からゴルムドに行くには2日以上が必要だった。ゴルムドでは砂や小石があちこちで舞い上がっていた」。


Li Xiujinさんと彼の同僚は小さくてすきま風が入る泥壁の小屋にすみ、毎日の出勤では修理用ハンマーを携帯した。過去37年にわたり、彼は鉄道技術の著しい発展を目の当たりにし、それによって列車の検査が非常に容易になった。


2012年、テクノロジーを使った発展という国家的気運の中、青海鉄道網は一連の自動検査機を導入した。Li Xiujinさんは最先端テクノロジーを学び、列車貨物故障検知システム(TFDS)の中心アナリストになった。「いま、私はコンピューターを使い、1日に約300の列車をチェックしている」。


3代目のLi Haifengさんによると、修理と補修は以前、経験によるところが多かった。しかし現在、乗客の安全を保証するためには技術的ノウハウをベースにした「総合スキル」も要求される。


蒸気機関車から電車へ


1950年代と60年代の列車の旅はガタガタ揺れて乗り心地が悪く、1日がかりだった。当時は蒸気動力が鉄道の中心だった。蒸気機関車は世界が最初の産業革命に突入することに貢献し、それからの150年にわたり人間の文明を発展させた。


中国では、蒸気機関車の多くは早い時期に姿を消しつつあったものの、その生産と使用は1980年代の後半まで続いた。1960年代に蒸気を利用した列車が国内鉄道網の発展を先導し、社会経済の発展を推し進めた。


Li Wangfuさんは、古い物が時の流れの中で徐々に消えること、内燃機関を使用した列車の登場、そして次は電車の登場を目撃した。「われわれは、いまやすべてが電化されている」。


過去数十年、中国の列車技術は時代遅れだった。彼の息子と孫は、考えられないような進歩を体験してきた。Li Haifengさんは「以前、西寧・ゴルムド間では、列車は約50キロ程度の時速で走っていた。しかしいまや時速160キロに達しているかもしれない」と述べた。


現在、中国には世界最大の高速鉄道ネットワークがあり、それと共に列車の設備や機器のための高度な検査方法も備えている。


Li Xiujinさんは「われわれは、ちょうど病院の医師のように、厳しい肉体労働から頭脳労働へと切り替わった。われわれは室内に座り、高速度カメラが撮影した画像を見て、TFDSの支援を受けながら現場の検査員に問題を報告するだけだ」と述べた。


Li Haifengさんにとって仕事とは骨の折れる労働というより、多くの専門知識が要求されるものだ。彼が乗務する列車にはさまざまな新設備と共にUVフィルター付きの窓、酸素発生機、そして自動排泄物処理機が組み込まれている。


Li Haifengさんは「鉄道の仕事は個々の乗客の安全に配慮する必要があり、厳しいものだ。それはちょうど、列車について全てを知る『医師』であり、薬の適切な処方をすることに似ている」と述べた。


ソース:CGTN


Video - https://cdn5.prnasia.com/202010/CGTN/Video.mp4